新・後光がさしたよ

生きる喜び

思考を0フォーマット

今開催されているカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で

竹馬靖具監督の「蜃気楼の舟」という作品が出品されています。

 

長い時間をかけて完成したものです。

 

一度作品が出来上がった段階まで編集で関わりました。

その後、監督が試行錯誤され、完成という形をたどっています。

 

culture.loadshow.jp

 

観念的な映像の映画です。

一見、具体的な世界がありそうで、

一方で個々映像がつながりを持たない夢のような世界があって。。

そんな映画です。

 

編集に入っているときは、

「意味を持たせること、持たせないこと」を考えていました。

 

あまりにも「意味を持たせない」ようにすると、

映画は観客を突き放してずんずんと進んでいきます。

あまりにも「意味を持たせる」ようにすると、

表面上だけの流れがスルスルと滑っていきます。

意味があるのか、ないのか。

 

特にアッチの世界は、監督が見たい【映像】だと思います。

撮影場所で何かを発見して、即興で組み上げられる、

そういうショットも多かったです。

ですので、ショット自体には意外と意味付けがされていなかったりします。

 

何年か前に、同様のスタイルの作品で編集に入ったことがありました。

一見何か意味がありそうな、

だけど、実際はどうにでも変化できる【ショット】を組み上げることでした。

私の元に来る前に1つ作品としてすでに出来上がっているものでしたので、

それを解体するということ苦戦したのを覚えています。

自分の中で一度、意味付けされたショットを解体して他のものにするというのは

頭の中を0書き込みフォーマットをかけるくらいのリセットが必要になります。

私が不器用だからだとは思いますが。。。

異なるものを組み上げようとしても、

いつも同じ、もしくは似たような【意味】に取り憑かれてしまいます。

 

「蜃気楼の舟」は私にとってそんな試行錯誤の積み重ねの映画なのです。

 

あー、なんか真面目にいろんなことを思い出してしまった。

 

 

ちょっと恥ずかしいので、猫写真を貼ります。

 

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