新・後光がさしたよ

生きる喜び

お知らせ

8/12日に、5年間四ツ谷を一緒に借りていた

同業者であり、同級生であり、友人の録音技師・光地拓郎さんが

膵臓がんで亡くなりました。

知らせを受けた時は、実感がなく言葉が出ないという状況でした。

 

昨年秋頃から闘病されていて、10ヶ月、私はその様子を近くで見ていました。

光地さんはがん告知を受けてから、落ち込むのは一晩で止めたと言っていました。

不安も大きかったと思うのですが、

落ち込んでいても病状はよくならないし、やりたいことをやると言っていました。

光地さんらしい考え方。

そして10ヶ月間、録音スタジオの改造や新しい設備のテストや、

時にコンサート収録、音楽作りなど いろいろなことをやっていました。

そして次はこうしようと思っていると、この先のことも話してくれていました。

四ツ谷をどうするかのやり取りをしていた最中に、お亡くなりになりました。

 

ご葬儀も終わり、数日が経とうとしていますが

そんな光地さんがもう居ないということがいまだに信じられません。

生前と同じように四ツ谷の部屋で編集していたら

ひょっこりやってきそうなそんな気がしています。

 

病院で光地さん、ご家族のみなさんと対面してから、

光地さんと親交の深かった臼井さんのお力を借りて

SNSで訃報のお知らせを出し、火葬のお知らせを出し、

御礼のメッセージと葬儀についてのお知らせを出し、、、

とあれやこれやとやっておりました。

FacebookTwitterにも投稿していますが、

本当にたくさんの方々が突然のお知らせにも関わらず集まってくださいました。

そして、光地さんの人望の厚さを感じました。

光地さん、やるじゃん!みたいな。

裏でご協力してくださった方々もたくさんいらっしゃいます

みなさんにありがとうございましたとお伝えしたいです。

光地さんからもちゃんと言いなよ!って言いたいです。

 

亡くなる直前はよく作業場にやってきたので、雑談しました。

アレクサの設定はこうすると便利だとか、音楽作ったといって聴かせてくれたり、

団子買ったけど、全部食べられないから一緒に食べてもらえませんか、とか。

治療中だから腹水たまってポンポコリンですよ、見ますか?とか。

うなぎもテイクアウトで買ってきて一緒に食べました。

光地さんにこうしてあげればよかったと悔やむことも多いですが、

落ち込んでいても時間が戻るわけではないので、それは止めました。

 

仕事で年中飛び回っていた光地さん、ようやくゆっくりできますね。

お疲れ様でした。

どうか安らかに。。。

 

追伸:

光地さんからもらったプレステ4のVRでちゃんとゲームやりますんで!